今川館

都内勤務の地味OLです

あなたは今週何をしましたか?わたしは不確実性と闘ってました

一年前は、自分が必要だった

一年前に転職してきたときは、自分が必要とされている実感があった。
あの頃は積み上がったPython3とGoのコードベースをハンマーで叩き割り、火炎放射を放ち、焼畑に種を蒔き、苗を育てる段階だった。
ジョブキューに詰まるバッチ処理を押し流したり、APIが掴んだメモリを解放したり、ワーカーが一向に手放さないファイルディスクリプタを引き剥がしたり。
とにかく日々一歩でも前に進むことが必要だった。馬力があれば誰でも良かったが、わたしはその場にいて、懸命に働いていた。

今、自分は使えないおじさんになってしまった

それから状況は良くなって、気づいたら自分はPythonが少し読めるだけの役立たずになってしまった。
データ分析ができるわけでもない、低レベルプログラミングが上手いわけでもない、インフラの知識があるわけでもない。
会社にはどんどん若くて優秀な人が入ってくる。その人たちから見たら、どうしてあの人がここにいるのだろうと思われても不思議ではない。

潮が引いた時に、初めて誰が裸で泳いでいたかわかる。

そういうことだ。
今まで自分はそこそこできると思っていたが、それは妄想に過ぎなかったのだ。

チームメンバーは優秀なのに、どうして成功体験の方からこっちに来ないのか?

ところがこの数ヶ月、わたしのいるチームはどうしてもあと一歩ゴールへたどり着けない状況を繰り返していた。
機械学習で作ったモデルをサーバーに載せて配信すれば、今までよりもずっと良いパフォーマンスが得られるはずなのに、ABテストをしてもなぜか勝てない。
これから開発予定の新規機能も、ミーティングを開けば開くほど不明点が増え、一向にトンネルの向こうが見えてこない。

自分にはないスキルを持った人たちがこれだけ集まって懸命に働いているのだから、成功体験が向こうからこっちへ訪れて然るべきなのに、いっこうにドアをノックする音がしない。

スクラムというやつが効くらしい

ところで、転職したとき職場では既にスクラムを何年も実践していた。
会社のそれまでの道のりは必ずしも平坦ではなくて、チームに亀裂が入ったり、組織に不安がよぎった時期もあったそうだ。
そんな中、スクラムを導入することでチームビルディングに成功し、今に至るらしい。
一昨年、二次面接の後にオフィスの中を見せてもらい、壁やホワイトボードに整然と並んだ色とりどりの付箋紙を見たとき、わたしはこんな職場で働ける人が羨ましいと思った。

ところが、今ではホワイトボードに構築されたカンバンを見ても他人が昨日何をして、今日は何に取り組み、どんなことに困っているのかわからない。
スプリントの振り返りの場でKPTをやっても、同じ失敗を繰り返す状態から抜け出せない感じがする。
その原因として、チームメンバー同士の協力がうまく噛み合っていないような気がしてならない。なぜなのか。

現状を把握し、活動を改善する必要に迫られる

先月は、イベントや研修に行って、スクラムのことを学ぶ機会が多かった。
そこで学んだのは、スクラムは現状を把握するためのフレームワークであり、スクラムマスターの責務とは活動を改善すること、ということだ。
そう、わたしの漠然とした不安の正体は、活動が停滞していることだったのだ。
そして、今の我々には現状を把握することが必要だったのだ。

具体的には、とにかく話し合うことが必要だと思った。
でも、会議室にチームメンバーを集めて、現状を変えなければならないと熱く語ったところで、何も状況は好転しないと思った。
それはまるで、能力の劣ったおじさんが、たまたまスクラムイベントへ行って感化されて、孤独に熱く語っているだけのおバカさんではなかろうか?

だから身近なことを話し合おうと思った。
例えば、朝会をやる時間とか、ホワイトボードの使い方とか、そんなことが良い。
わたし自身はそれらが今はあまり機能していないと思うが、他の人はどう思っているのか?そんな簡単な話題で構わない。
他人が仕事に対して何を考えているのか知らないから不安になったり、協力できないだけじゃないか。

現状を変えることが必要ではなくて、必要なのはあくまでも現状を「把握すること」なのではないか。
そして、現状を変えるのは自分ではなく、チームではないか。

あなたは今週何をしましたか?わたしは不確実性と闘ってました

実際に話し合ってみると色々な意見が出てきて、残り時間の管理に細かく気を使うくらいだった。
やる前は全然喋らない人が発生するんじゃないかと心配だったが、結果はまったく逆だった。
普段よく発言する人の方が控えめで、普段あまり話さない人の方が饒舌なことに驚いた。

それから一週間、朝会をやめて夕会に変えたり、ホワイトボードと付箋を使うことをやめてGithub projectを使ってみたり、午後に全員でディスプレイの前に集まってデータ分析の結果を元に次のトライを話し合ったりと、毎日少しずつ活動に変化が現れ始めた。新規機能の見積もりもやり直した。

今週は人と話すことが本当に多かった。
話し合いをするときに認識や意見が合わないことは非常に多く、長時間話し合っても結局それらが解消しないことも多い。
しかし、話し合いの過程で人は必ず「何か」を学習している。そして、それは次につながっていく手がかりに変わる。

優秀な人材を募って職場にチームを結成しても、バラバラに働いているとひとりの認知の限界で行き詰まったときに抜け出せない。
単純にスキルセットの違う人材を集めても、違う視点や経験がひとつの方向へ向かわなければ、状況は好転しない。
そんなことを感じた。